原爆ドーム
2024年11月13日00:00原爆ドームと広島平和記念資料館
両親は戦争経験者でしたが、私はそれほど戦争中の話を聞いたこともなく
広島に行ったことがなかったので、いつかはこの目で見て話を聞くべき場所だと
思っていました
今回、広島に行った一番の目的は原爆ドームと広島平和記念資料館に行くことでした
宮島口のフェリーを降りたら前に広電宮島口があり、ここから路面電車に乗りました
途中、海が見えて良い景色のところがありました
緑のゾーンが路面電車の乗り場で「せまっ!」と思い、線路が結構急カーブだったりで
初めての広電を満喫しました
原爆ドーム前駅で降りると目の前が原爆ドームです
柵で囲まれているので外から見るだけですが、下が瓦礫のままだったのは衝撃でした
現在は原爆ドームと呼ばれていますが、元々は「広島県物産陳列館」という施設
だったそうです
原爆の子の像
おびただしい数の千羽鶴が掛けられていました
鐘は鶴になっています
左手前に平和の灯(ともしび)が見えます
原爆死没者慰霊碑にはひっきりなしに人が手を合わせていました
こちらに立って初めて原爆ドーム・平和の灯・原爆死没者慰霊碑が一直線に並んで
見えることを知りました(テレビで見るよりそれぞれが離れていることもわかりました)
広島平和記念資料館
展示や映像を見た後、被爆体験者のお話を1時間聞きました
展示コーナーは平日の午前中にもかかわらず、外国人がとても多くて動けないぐらい
混んでいたところもありました
被爆体験者の映像コーナーでとどまって熱心に見入っているのは外国人が多く
字幕を見て理解されているようでした
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
平和記念資料館での写真や遺品が実に生々しく見るのが辛かったです
私の想像以上に、外国人の比率が高く真剣に見ていたというのが印象的でした
様々な国からの来日だと思いますが、ひとりひとりが悲惨な状況を見て何かを感じ
帰国後に戦争のこと、核のことを考えて周りに伝えたり戦争・核の使用に
反対してほしいと強く思いました
被爆体験者のお話で
以前は、どれだけの人が亡くなったなどを伝える展示方法だったが
現在は、原爆で亡くなった人たちひとりひとりに大切な家族がいてそれまでの人生があること
長年原爆の後遺症と闘った末に亡くなったと人、原爆によって差別により人生が
変わってしまった人など個人にスポットを当てて訴えかける方法に変えたという話を聞き
その方が世界中の人に、より強く伝わり自分事として考えてもらえると思いました
以上、1泊2日の弾丸四国・広島ひとり旅でした
広島に行ったことがなかったので、いつかはこの目で見て話を聞くべき場所だと
思っていました
今回、広島に行った一番の目的は原爆ドームと広島平和記念資料館に行くことでした
宮島口のフェリーを降りたら前に広電宮島口があり、ここから路面電車に乗りました
途中、海が見えて良い景色のところがありました
緑のゾーンが路面電車の乗り場で「せまっ!」と思い、線路が結構急カーブだったりで
初めての広電を満喫しました
原爆ドーム前駅で降りると目の前が原爆ドームです
柵で囲まれているので外から見るだけですが、下が瓦礫のままだったのは衝撃でした
現在は原爆ドームと呼ばれていますが、元々は「広島県物産陳列館」という施設
だったそうです
原爆の子の像
おびただしい数の千羽鶴が掛けられていました
鐘は鶴になっています
左手前に平和の灯(ともしび)が見えます
原爆死没者慰霊碑にはひっきりなしに人が手を合わせていました
こちらに立って初めて原爆ドーム・平和の灯・原爆死没者慰霊碑が一直線に並んで
見えることを知りました(テレビで見るよりそれぞれが離れていることもわかりました)
広島平和記念資料館
展示や映像を見た後、被爆体験者のお話を1時間聞きました
展示コーナーは平日の午前中にもかかわらず、外国人がとても多くて動けないぐらい
混んでいたところもありました
被爆体験者の映像コーナーでとどまって熱心に見入っているのは外国人が多く
字幕を見て理解されているようでした
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
平和記念資料館での写真や遺品が実に生々しく見るのが辛かったです
私の想像以上に、外国人の比率が高く真剣に見ていたというのが印象的でした
様々な国からの来日だと思いますが、ひとりひとりが悲惨な状況を見て何かを感じ
帰国後に戦争のこと、核のことを考えて周りに伝えたり戦争・核の使用に
反対してほしいと強く思いました
被爆体験者のお話で
以前は、どれだけの人が亡くなったなどを伝える展示方法だったが
現在は、原爆で亡くなった人たちひとりひとりに大切な家族がいてそれまでの人生があること
長年原爆の後遺症と闘った末に亡くなったと人、原爆によって差別により人生が
変わってしまった人など個人にスポットを当てて訴えかける方法に変えたという話を聞き
その方が世界中の人に、より強く伝わり自分事として考えてもらえると思いました
以上、1泊2日の弾丸四国・広島ひとり旅でした