再会
2023年10月22日00:00かけがえのない20分
翌朝は早めにホテルを出て、高速バスに乗って鳥取に向かいました
目的は、お世話になったAさんに会うためです
Aさんとは40年ぐらいのお付き合いがあり、私の学生時代のバイト先の大先輩の
社員さんでした
バイトの身でありながらAさんの口添えで慰安旅行に連れて行ってもらったり
公私ともにお世話になり、就職後も電話や年賀状ではつながっていて
鳥取に引越をされた後も遊びに行かせていただきました
数年前に倒れられてコロナ禍で特養に入所をされてからは、ときどき絵手紙を書いて
送っていました
今回の帰省は時間があったので、施設に連絡を入れるとコロナも5類に移行して
落ち着いているので20分だけなら面会ができると聞きました
イノシシさんも「行けるときに行った方がいいよ」と背中を押してくれたので
施設に予約を入れて、Aさんのご主人にも連絡を取り、一緒に面会に行くことにしました
Aさんには事前に伝えていなかったので、スタッフの方に面会室に連れて来られて
私の姿を見た瞬間「どうしてあなたがいるの?」と驚かれました
「だって、ハガキに『行くから、待っててね』って書いたでしょう?」と伝えると
「『行く』って言葉では言っても来てくれない人ばかりやもん」と大泣きされました
「私は、できることしか約束しないから・・・お会いできてうれしいです!!」と
再会を喜び合いました
食べ物なども持ち込みはできないと思い、オシャレだったAさんに明るい赤色の
リップクリームをプレゼントしてその場で塗ってもらったらパッと表情が明るくなりました
母がいた施設でも、頭のしっかりしたオシャレな人は毎日キレイにご自分でお化粧を
されている方もいました
女性にとってお化粧やオシャレは大切なものだと、その時思ったのでリップクリームに
しましたが、危険があるといけないので一緒に行った姪御さんにお渡ししました
(実に失礼な話ですが)寝たきりになられて長いので認知症とか出ているのではないかと
心配していましたが、頭は非常にクリアで昔のこと・現在のこと全てお分かりでした
会いに行って本当に本当に良かったです
ハガキは届くとよく見える位置に飾って大切にして下さっているとのことで
送る励みになるとうれしく思いました
ただ、ご主人が施設のことを病院と思われていて「良くなったら家に帰って来る」と
何度もおっしゃるのが切なかったです
往復8時間、面会時間20分の旅
ご飯を食べることもなく、お土産さえ買う時間が無かったので
「鳥取にはスタバはないけど『すなば』(鳥取砂丘)はある」という鳥取県知事の
ひと言で開店した「すなば珈琲」をダッシュで見に行ってみました
(※鳥取県のスタバは国内で一番最後にできたので、現在はあります)
16:30閉店って・・・はやっ
鳥取駅です
大阪に着いたら飢餓状態のブタはお好み焼きにがっつきましたが、見た瞬間小さすぎて
「あと2枚はいける」とか「〆はラーメンで」と思ってしまいました
目的は、お世話になったAさんに会うためです
Aさんとは40年ぐらいのお付き合いがあり、私の学生時代のバイト先の大先輩の
社員さんでした
バイトの身でありながらAさんの口添えで慰安旅行に連れて行ってもらったり
公私ともにお世話になり、就職後も電話や年賀状ではつながっていて
鳥取に引越をされた後も遊びに行かせていただきました
数年前に倒れられてコロナ禍で特養に入所をされてからは、ときどき絵手紙を書いて
送っていました
今回の帰省は時間があったので、施設に連絡を入れるとコロナも5類に移行して
落ち着いているので20分だけなら面会ができると聞きました
イノシシさんも「行けるときに行った方がいいよ」と背中を押してくれたので
施設に予約を入れて、Aさんのご主人にも連絡を取り、一緒に面会に行くことにしました
Aさんには事前に伝えていなかったので、スタッフの方に面会室に連れて来られて
私の姿を見た瞬間「どうしてあなたがいるの?」と驚かれました
「だって、ハガキに『行くから、待っててね』って書いたでしょう?」と伝えると
「『行く』って言葉では言っても来てくれない人ばかりやもん」と大泣きされました
「私は、できることしか約束しないから・・・お会いできてうれしいです!!」と
再会を喜び合いました
食べ物なども持ち込みはできないと思い、オシャレだったAさんに明るい赤色の
リップクリームをプレゼントしてその場で塗ってもらったらパッと表情が明るくなりました
母がいた施設でも、頭のしっかりしたオシャレな人は毎日キレイにご自分でお化粧を
されている方もいました
女性にとってお化粧やオシャレは大切なものだと、その時思ったのでリップクリームに
しましたが、危険があるといけないので一緒に行った姪御さんにお渡ししました
(実に失礼な話ですが)寝たきりになられて長いので認知症とか出ているのではないかと
心配していましたが、頭は非常にクリアで昔のこと・現在のこと全てお分かりでした
会いに行って本当に本当に良かったです
ハガキは届くとよく見える位置に飾って大切にして下さっているとのことで
送る励みになるとうれしく思いました
ただ、ご主人が施設のことを病院と思われていて「良くなったら家に帰って来る」と
何度もおっしゃるのが切なかったです
往復8時間、面会時間20分の旅
ご飯を食べることもなく、お土産さえ買う時間が無かったので
「鳥取にはスタバはないけど『すなば』(鳥取砂丘)はある」という鳥取県知事の
ひと言で開店した「すなば珈琲」をダッシュで見に行ってみました
(※鳥取県のスタバは国内で一番最後にできたので、現在はあります)
16:30閉店って・・・はやっ
鳥取駅です
大阪に着いたら飢餓状態のブタはお好み焼きにがっつきましたが、見た瞬間小さすぎて
「あと2枚はいける」とか「〆はラーメンで」と思ってしまいました
2023年10月14日00:0030分の奇跡
昔、アメリカ人留学生を半年ぐらい受け入れていたことがあります
息子が留学中で部屋が空いていて、英語を話せない娘が何を思ったのか
「留学生を預かりたい」と言い出したからでした(笑)
当時、彼は高校1年生で、ファミリータイプの3LDKに住んでいた我が家は
日本では標準的な広さだったのかもしれませんが、アメリカ人にしたら驚異の狭さだと思い
最初に「着く前に言っておくけれど、びっくりするぐらい狭いから」と伝えると
「先生から聞いて、知っているからOK」と言われました(笑)
日本文化に初めて触れる彼にとっては見るもの食べるもの全てが新鮮だったことでしょう
お風呂の入り方、布団の敷き方、行き帰りの挨拶の仕方などから始まり
電車の乗り方を教えて何度か一緒に学校へ往復し、ようやく学校生活が始まりました
初日に教えた布団の敷き方ですが、2日目に見てみたら敷布団を掛けて寝ていて大笑い
したり、「ただいま~」と言って出かけて行ったり面白いことが日々ありました
そして、びっくりしたのは日本語を覚えるスピードがとても速かったことです
3ヶ月後には大阪弁でツッコんでいました
言語の中でも難しいと言われる日本語を若い人はあっという間に覚えるのだと驚きました
(漢字や同音異義語には苦労していたみたいです)
半年経つ頃には私に反抗もしてきて面白かったです
彼を見ていて思ったのは、本当に優しい子でした
一緒に出掛けると、すぐに(買った荷物はもちろん)カバンまで持ってくれたり
車に乗るときは「どうぞ」とドアを開け閉めしてくれるような子で
アメリカはレディーファーストが小さい頃から教えられているのだと感心したものでした
一緒に留学していた男の子も時々我が家に来ましたが、それはそれはびっくりするぐらい
私の料理をほめちぎってくれる(笑)子で、誰からもそんなに褒められたことのない私は
文化の違いを身をもって体験しました
そんな楽しい想い出も遠い過去の話になっていたのですが、先月イノシシさんと
関西に行く前に「日本に行くけど会える?」とメッセージが来ました
私たちが大阪を通過する瞬間と彼が大阪に着く時間が少しだけかぶっていました
イノシシさんにはスーツケースを持ってカフェで待機してもらい
私は滞在先のホテルに迎えに行きました
思いっきりハグをした次の瞬間に、彼は「荷物を持ちましょう」と言ってくれて
遠い過去の記憶が蘇りました
カフェに向かって、イノシシさんとも挨拶を交わしました
大学を卒業して仕事も順調にいき、ますます好青年になっていました
そして、日本の一般サラリーマンでは持てないような車の写真を見せてくれました
日本とアメリカでは根本的に給料のシステムが違うようで、頑張れば頑張るだけ
(それはもちろん大変なことなのでしょうけれど)個人が評価されたり
キャリアを積んで転職すると年収が何倍とかに上がったりと、アメリカンドリームを
見せていただきました
わずか30分でしたが、奇跡的に会えて本当に良かったです
「英語が話せない」と心配していたイノシシさんは出てくる大阪弁に大笑いしながら
一緒に楽しんでくれました
わざわざ私のために時間を割いて再会してくれて幸せなひとときでした
息子が留学中で部屋が空いていて、英語を話せない娘が何を思ったのか
「留学生を預かりたい」と言い出したからでした(笑)
当時、彼は高校1年生で、ファミリータイプの3LDKに住んでいた我が家は
日本では標準的な広さだったのかもしれませんが、アメリカ人にしたら驚異の狭さだと思い
最初に「着く前に言っておくけれど、びっくりするぐらい狭いから」と伝えると
「先生から聞いて、知っているからOK」と言われました(笑)
日本文化に初めて触れる彼にとっては見るもの食べるもの全てが新鮮だったことでしょう
お風呂の入り方、布団の敷き方、行き帰りの挨拶の仕方などから始まり
電車の乗り方を教えて何度か一緒に学校へ往復し、ようやく学校生活が始まりました
初日に教えた布団の敷き方ですが、2日目に見てみたら敷布団を掛けて寝ていて大笑い
したり、「ただいま~」と言って出かけて行ったり面白いことが日々ありました
そして、びっくりしたのは日本語を覚えるスピードがとても速かったことです
3ヶ月後には大阪弁でツッコんでいました
言語の中でも難しいと言われる日本語を若い人はあっという間に覚えるのだと驚きました
(漢字や同音異義語には苦労していたみたいです)
半年経つ頃には私に反抗もしてきて面白かったです
彼を見ていて思ったのは、本当に優しい子でした
一緒に出掛けると、すぐに(買った荷物はもちろん)カバンまで持ってくれたり
車に乗るときは「どうぞ」とドアを開け閉めしてくれるような子で
アメリカはレディーファーストが小さい頃から教えられているのだと感心したものでした
一緒に留学していた男の子も時々我が家に来ましたが、それはそれはびっくりするぐらい
私の料理をほめちぎってくれる(笑)子で、誰からもそんなに褒められたことのない私は
文化の違いを身をもって体験しました
そんな楽しい想い出も遠い過去の話になっていたのですが、先月イノシシさんと
関西に行く前に「日本に行くけど会える?」とメッセージが来ました
私たちが大阪を通過する瞬間と彼が大阪に着く時間が少しだけかぶっていました
イノシシさんにはスーツケースを持ってカフェで待機してもらい
私は滞在先のホテルに迎えに行きました
思いっきりハグをした次の瞬間に、彼は「荷物を持ちましょう」と言ってくれて
遠い過去の記憶が蘇りました
カフェに向かって、イノシシさんとも挨拶を交わしました
大学を卒業して仕事も順調にいき、ますます好青年になっていました
そして、日本の一般サラリーマンでは持てないような車の写真を見せてくれました
日本とアメリカでは根本的に給料のシステムが違うようで、頑張れば頑張るだけ
(それはもちろん大変なことなのでしょうけれど)個人が評価されたり
キャリアを積んで転職すると年収が何倍とかに上がったりと、アメリカンドリームを
見せていただきました
わずか30分でしたが、奇跡的に会えて本当に良かったです
「英語が話せない」と心配していたイノシシさんは出てくる大阪弁に大笑いしながら
一緒に楽しんでくれました
わざわざ私のために時間を割いて再会してくれて幸せなひとときでした