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イノブタ

飲むこと、食べること、旅行が大好きです。
お店で食べたお料理を真似したりアレンジをするのも楽しみのひとつです。

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子育て回顧

2024年09月25日00:00子育て回顧③
娘が遊びに来るので、娘のことを少し綴ってみたいと思います

娘は元夫と私にとって初めての子どもで、その後1歳ちょっと違いで息子が生まれました

息子が生まれたとき、娘もまだ歩いていない状態で実家に戻っていました

おむつの交換を観察していた1歳過ぎの娘が、私は何も言っていないのに数日後には

おしりふきやおむつをハイハイをしてとってきて私に渡してくれるようになったのには

「こんなに小さくても母性があるのかも」と本当にびっくりしました


最初の子どもということで、大人しいというか慎重・引っ込み思案なところがあり

幼稚園の懇談会で

「全てにおいて自信がなくて誰かの後ろに隠れている感じ」

「何か『できる』ことを作ってあげてほしい」と衝撃的なアドバイスを受けました


ちょうど、幼稚園のママ友さんからスイミングに一緒に通わないかと誘われ

始めてみたらメキメキと上達し、途中から選手コースに入り水泳漬けの日々は

中学3年生まで続きました

そのことは娘の大きな自信につながり、ひとつのことを続ける我慢強さも身に着いたと

思うのですが、学校の友人とは遊ぶ時間が全くとれなかったため

反抗期のときには「私の青春を返して!」と責められました(苦笑)


塾や家庭学習もせず、中学3年生まで来てしまったので成績は超低空飛行で

担任の先生から「行ける学校がありません」と言われてようやく実力を認識した娘は

塾に通い始めましたが、反抗期真っ只中で「〇〇(公立)しか行かないから

私立のすべり止めなんか受けない」と頑なに私立受験を拒否し、困った私は塾長先生に

「私の意見を聞いてくれませんからどうか説得してやって下さい」とお願いし

「人生は何があるかわからないから安心のために『保険』というものがあるんだよ

 受験も同じで、当日何があるかわからない

 公立に合格して『保険』を使わなければ、それは幸せなことなんだよ

 だから『すべり止め』という『保険』をかけておくといいと思うんだよ」と

娘が理解できるように優しく諭して下さり、私立に願書を出すことができました

ところが、私立受験前日に高熱を出し、当日はヘロヘロで別室受験となり

合格はしたものの特待合格(学費免除)は逃し、公立高校の合格発表の日にドキドキ

しながら職場でメールを待っていた私に届いた文字は「落ちた」でした

早退し、大急ぎで私立高校に向かい入学金を払って手続きして家に戻ると

娘は大泣きし、それから一週間狭いコタツの中にこもって泣いていました

入学後も「私の行くところじゃない」「学校、行きたくない」「やめてやる」

「高校に行く意味がわからない」とごね続けて

「今やめたら就職はないのよ、大学は行かなくてもいいから、お願いだから

 高校だけは出てちょうだい」「お友だちができたら楽しくなるから」という

親子バトルが夏休み明けまで続き、お友だちができてようやく笑顔で通学するように

なりました

今思えばあの時期が大人しかった娘の自我の爆発だったのでしょう
 
勉強嫌いだった娘も、すべり止めの学校に行ったおかげで「私、賢い?」と

勘違いできる環境に身を置き、勉強が好きに?なり「自力で大学受験をする」と

言い出しました

ところが、今度は一般入試を待たずして学校のゴタゴタと家庭内問題に巻き込まれ

またもや娘の意図しない方向に進んでしまい

「私の人生、全然思い通りにならない!!」と再び大泣きとなりました

「人生って思い通りにいかないことばかりかもしれないけど、あとで振り返ったら

 今の状況が良い結果に繋がっているかもしれないよ

 だって、高校受験の失敗があったから今は成績優秀でいられて指定校推薦も

 いただけるのよ

 今の状況を悲観しないで、指定校推薦の短大の見学に行ってみない?」となだめ

結局、親切にキャンパス内を案内して下さった短大を気に入り入学となりました


娘は、私立高校に入学したことでたぶん家庭に大きな負担をかけていると思ったようで

短大卒業までの5年間アルバイトをして、私には一切「お小遣いがほしい」と

言いませんでした

田舎でひとり暮らしをしていた私の母が重い昔の布団をかぶって寝ているのを見て

「おばあちゃんに羽毛布団を買っておいて!いくらかかったか教えてくれたら払うから」と

プレゼントしたり、自分も学生なのに弟にお年玉をあげたり

教習所の費用も自分で出し、短大卒業時に買った車も全て自分で払っていました

お金に関しては「誰に似たのかな」と思うくらい堅実でしっかり育ちました


就職先は専門とは違う分野を希望したので私は反対したのですが

「受験は自分の思い通りにならなかったから、就職は自分の希望を叶えたい

 落ちたら1年アルバイトをして来年また就職試験を受けるから許して」と言うので

そこまで決心が固いならと娘の思いを尊重しました


今でも言葉少なめな娘ですが、離れて暮らしていてもひとりの大人の女性として

しっかり生きている彼女を安心して見守っています

そして、水泳を頑張ったおかげで忍耐力がついたこと、挫折しても道は開けることは

きっと娘の中に刻まれていると思います

そんな娘が、もうすぐ2年ぶりに遊びに来てくれるので、とても楽しみです


本日は、長々とご拝読ありがとうございました!


2024年09月19日00:00四半世紀
突然、息子から

「沖縄に来ています」とLINEが届きました

1歳の子を連れて飛行機に乗るなんて、さぞかし大変だったでしょうと思ったのですが

とてもお利口さんにしていたそうです

次に届いた写真を見て

ブタ 奈落w

となりましたが、よく考えたら私も同じことをしていました




四半世紀前の夏休みの写真です

場所はシンガポール、確か息子が小学1年生ぐらいです

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娘は固まって横目でヘビを見ていました

この写真を年賀状にして送ったら受け取った友人から

「危険なことはや~め~な~さ~い!!」と返事がきました(笑)


今回の写真はコチラ♪

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今回、息子は「子どもの頃のことを思い出して同じことをしてみました」とのこと


四半世紀・・・歴史は繰り返されるのでした

2023年10月13日00:00子育て回顧②
「彼女がおかんの料理を食べてみたいと言ってる」と息子は彼女を連れてきました

いつかはそういう日が来るのだろうとは思っていました

お会いしてみると実に明るく朗らかでかわいい女性でした

2人を見ていると、何故だかずっと昔から一緒にいるような安定・安心のカップルに

思えました

何回かお会いしたときに、彼女は「私も海外で一緒に働きたいと思っています」と

言いました

「ご両親はどうおっしゃっているの?」と聞くと「賛成してくれています」と言いました

私も反対する理由は何もないので2人は渡航手続きを始め、息子が先に旅立ちました


・・・が、そこでまさかのコロナが発生、鎖国状態に陥り、二人は遠距離恋愛となり

1年数か月が過ぎ、息子は帰国して日本で働くことになりました


そんなこんなで、挙式もだいぶ先送りしました

息子に「〇ちゃんのご両親はどんな方?」と聞くと

「めちゃくちゃ仲のいいファミリーよ」との答えでした

実際初めてお会いしたとき、ご両親の仲の良さ、おじいちゃまおばあちゃまの優しい眼差しが

とても印象的でした

そして、結婚式で(叔母も私も)ビックリしたのが、親族の皆さんが同じ優しい目を

していて愛情にあふれているのが見ているだけで伝わってきたことでした

新婦からの挨拶で「母はいつも笑顔で育ててくれました」という言葉を聞いて

私は納得したのですが、叔母は「うちの子は両親はいつも怒っていた」としか

言ってくれないと反省していました(笑)

私は、愛情を受けて育った人は自己肯定感が高い、心が安定している

他の人の幸せを(ねたまず)一緒に素直に喜ぶ気持ちを持っているとか

「愛情」が与える心の成長や(良い)影響がとても大事だと最近気づき

愛情あふれるファミリー・親族の皆さんに囲まれて育った女性で良かったと

心から嬉しく思いました


そして、最近二人の間に元気な男の子が生まれ、私もついにばぁばとなりました

ババアと言われないように気をつけよう(笑)

時々届く写真に「誰に似ているんだろう?」「どちらさま?」と不思議な気持ちになり

まだまだ「孫ができた」とか「おばあちゃんになった」という実感はありません

「近ければBa-ba-Eatsをお届けするのに」と日々のお料理を作りながらつぶやくブタでした


2023年10月12日00:00子育て回顧①
ネタが尽きてしまったので新しいカテゴリーを作ってみました(笑)

ごくごく個人的な回顧録なので興味のない方は是非スルーして下さい


私には元夫との間に娘と年子の息子がいます

私自身は両親が晩婚だったため子どもの頃には「親との別れは友達より早くやってくる」

とか「反抗したら親が身体を壊すかもしれない」という漠然とした不安があり

心の中でしか反抗はできずにいました

結局両親は人並みに長生きしましたが、子どもの頃の不安が根底にあるので

子育ての最終目標は「自立させる」の一択でした

そして、お金やモノを残すのではなく(っていうか元からないけど~(笑))

「体験」「経験」を残してあげたいと思っていました


今回は息子の話ですが、娘とは1歳ちょっとしか離れていなかったので姉という認識はなく

何事も負けたくないという性格が作り上げられた気がします

娘のために買った「あいうえお」や時計を覚える玩具も娘が幼稚園に行っている間に

こっそり使って先に覚えてしまいました

とにかく好奇心旺盛、怖いもの知らずなので小学校に入学した頃には東京まで

ANAのジュニアパイロットでひとり旅をさせてみたり

娘とふたりで新大阪から横浜まで新幹線に乗せてみたり(今考えたらちょっと危険)

「体験」の機会は多かったと思います

「勉強をしなさい」ではなく

「勉強ができたらしたいことや仕事を選ぶときに選択肢が広がる」という言い方をしたり

私の学生時代の友人で当時としては珍しく留学をした人がいるので彼女の話をして

「外国語ができたら世界が広がるよ~プーさん(息子)の知らない世界を見られるよ~」と

小学生時代から話していました

すると本当に留学したいと言い出しました(笑)

「そんなお金どこにあるねん!」と猛反対する元夫でしたが

私が工面すると言ったとたんに「ならいいよ」(・・・ってどないやねん!)

まるで会食の場で一番安い定食を注文していたのに誰かが「今日は俺がおごるよ」と言ったとたん

一番高い定食に変える人みたい・・・と思った


1年の留学・ホームステイで得たものは

 ①レディーファースト

 ②家での役割分担

 ③自分の意見や気持ち、特に感謝の気持ちを言葉で表す

 ④言葉の通じないところで1から頑張る力

 ⑤誰とでも物おじせずに話せるコミュニケーション能力

 ⑥異文化、多様性を受け入れる

などでしょうか、ずいぶん大人になって帰ってきました

「あなたの貯金は使い果たしたからその後の援助は一切できない」と宣言してあったので

その後大学でも休学をしてワーキングホリデーで海外に行くと言ったときもノータッチで

「とりあえず数日のホテルだけ予約したから現地に行ってから仕事を探すわ」と出発し

数日後には「仕事が見つかったから今から数百キロ先のところに飛びます」と

連絡が来たときには「この子はどこででも生きていけそうだから子育て終了」と思いました

その後、安定企業?に就職し親として一安心をしていたら・・・

翌年「もう辞めたから」と事後報告(マジで~~??もったいない~!何考えてる??

大卒の3割は3年以内に辞めると聞いたけど3割の方かーーーい!と

終身雇用世代の私は若者の衝撃発言に本当に目まいがしました)

退職後は派遣生活で「それでいいのか?」と思いましたが、本人的には目的があったようで

「断られても断られてもめげない力を飛び込みのセールスで養っています」と

そしてまた「ご報告があります 海外で働いてきます 住民票も抜きました」と報告に来て

去って行きました

そのとき私が言った言葉は「あなたの人生 楽しそう!」でした(笑)

「せやろ?楽しいで」と満面の笑みの息子でした

「でもね、、、家庭を持ったら落ち着かないといけないよ」と釘を刺しておきました

ところが、そんな心配をよそに私の前に現れたのは「私も海外で働きたい」という

息子と同じような考えを持つ彼女でした(笑)

To be continued・・・