プロフィール

イノブタ

飲むこと、食べること、旅行が大好きです。
お店で食べたお料理を真似したりアレンジをするのも楽しみのひとつです。

タグ絞り込み検索

2023年10月

2023年10月21日00:00大阪へ
では、関西旅日記です

いつものように新潟空港ではお土産を購入してスーツケースに詰め込んで預けた後は

カードラウンジでゆっくりしました

DSC_3720


遠くに見えているのは富士山ですがまだ冠雪はしていませんでした

DSC_3729


リムジンバスで上本町に向かいますが、途中で面白い光景に出会えます

DSC_3731


なんと、ビルの中に高速が通っているのですよ~(笑)

DSC_3732


DSC_3733


このビルの中は一体どうなっているのでしょう

そもそも、どうしてビルの中に高速を通さなければならなかったのか・・・

「(土地を)売りたくない~!!」って言われたのでしょうか、いつ見ても不思議です

DSC_3734


高校時代の友人に会い近況報告をした後に、ホテルで使ってみたReFaのドライヤーが

「欲しいものランキング 1位」に輝きました

DSC_3736

翌日から大移動が始まるので早めに寝ました

2023年10月20日00:00ランチの後は・・・
豪華ランチで大満足した後は、カーブドッチの中を歩いてみました

DSC_3658


ハロウィン仕様です

DSC_3659


DSC_3660


DSC_3661


DSC_3662


DSC_3663


DSC_3665


DSC_3667


DSC_3668


途中、(無料)試飲をさせていただきました

DSC_3669


JR東日本の「大人の休日倶楽部」のCMでカーブドッチが紹介されています

ポスターの真ん中に写っているのは吉永小百合さんです

DSC_3672


クマバチがたくさん、花から花へと飛んでいました

DSC_3687


DSC_3690


DSC_3701


DSC_3704


ブドウはすべて収穫が終わっていました

DSC_3705


DSC_3708


先ほどのポスターと同じような位置・・・のはずですが奥行がないのはスマホのせい?

それともドローンからの撮影だったのでしょうか

DSC_3714


色づいた銀杏の葉と高い空に秋の気配を感じました

DSC_3715


DSC_3716

いつ行っても南仏気分の(行ったことないけど)カーブドッチでした

2023年10月19日00:00薪小屋
まだ暑さが残る頃、一人でカーブドッチに行って来ました

お正月に購入した福袋(入浴券と薪小屋のお食事券)がぼーっとしていると期限切れに

なりそうなので、薪小屋の下見をするのが目的です


新潟駅南口から出発する送迎バスですが、残念なお知らせがあります

2024年1月5日から新潟駅発着が無くなり、内野駅発着になるようです(便数は増えるとのこと)

内野駅でも行けなくはないけれど、新潟駅だから便利だったのに~残念!



DSC_3633

上の写真のバスに乗り、カーブドッチに到着して、まずはヴィネスパでゆっくりしました

露天風呂が気持ち良かったです

その後は、少しだけ読書タイムです

DSC_3637


平日は空いていてゆったり過ごせます

DSC_3638


DSC_3639


ヨシタケシンスケさんの絵本を読みました

「みえるとかみえないとか」は、初めて読みましたが(他の本と同様)考えさせられました

DSC_3640


DSC_3641


一度も足を踏み入れたことがない「薪小屋」です

DSC_3643


小径もお洒落です

DSC_3644


ランチとしては少しお高め・・・(ですが、お食事券を握りしめているのでドキドキせずに

入りました(笑))

DSC_3646

「もちぶた」にも心惹かれましたが・・・


まずは、樽熟成シャルドネでひとり乾杯~♪

DSC_3647


外の景色を見ながら

DSC_3648


ガスパッチョ

DSC_3649


自家製パン(おかわり可)とかつおのマリネ

DSC_3651

粒マスタードを使ったマリネ液が実に美味しく、野菜の中にはたぶん梨も薄切りで

入っていたような・・・

洋食はあまりよくわからないので自宅で再現できないのが残念~

もう一度マリネ液を舐めたい!(笑)


ドリンクメニューです

DSC_3652


薪小屋の文字の通り、オープンキッチンでは薪を燃やしています

DSC_3654


ひと目見て、これにしようと決めた「自家製チョリソと神楽南蛮のピリ辛冷製パスタ」

DSC_3655

しばらく食べ進めるまで粗びきミンチ感覚で食べていて、ふと考えるとこの辛味は神楽南蛮

だけでなくチョリソからも来ていると思い出したのでした(ボケボケ)

温泉玉子を混ぜて食べると辛味がマイルドになりました

本当に美味しいパスタでした


自家製ヨーグルトとイチジクのソルベ(だったかな・・・)とコーヒーです

DSC_3656

大満足のおひとりさま贅沢ランチでした

残っている入浴券とお食事券で、今度はイノシシさんと訪問する予定です


2023年10月18日00:00106 おうちごはん
実家では金木犀の香りがしましたが、新潟に帰って来てからも同様です

すっかり涼しくなり、食欲の秋となりました



おうちごはん前半は、帰省前の写真です

とり野菜みそを使ったお鍋は鶏だんご、豚肉ときのこがたっぷりです

DSC_3596


義父の畑の茄子とりんご、柿

りんごはいつもより小ぶりですが、紅玉みたいで私の大好きな味でした

DSC_3597


義父の煮物「なんでも煮」

栃尾の油揚げ、赤玉ねぎ、茄子、かぼちゃ、人参、椎茸、にんにく入り

DSC_3598


同僚からいただいた辛なんばんは最後、かなり辛くなっていました

シーチキンと赤ピーマンの炒め物

DSC_3626


父の畑のさつまいもなどを使ったシチューや市販のハンバーグとともに

DSC_3627


ベビーホタテ・ズッキーニ・パプリカ・玉ねぎ・キノコ・ドライトマトなどを炒めて

白ワインとフュメドポワソンで味付けたものですが・・・目を離した隙に焦げました(泣)

DSC_3717


炙りチキン(市販)とポテトサラダ

DSC_3718


キノコ・ベーコンを炒めてすりおろした長芋に卵を混ぜてのせてチーズをかけて

オーブントースターで焼いてだし醤油でいただきます

DSC_3719



帰省している間に総重量1.1㎏の鹿児島のさつまあげが届いていて、賞味期限は翌日

に迫っていて、生で食べ、おでんに入れ、ご近所さんに好きなだけとってもらいました

スーパーのとは違い、本場のお味と歯ごたえ、とっても美味しかったです

DSC_4048


田舎で買ってきた大きな万願寺唐辛子はなんと100円だったので

来てくれた友人たちにも配り、我が家に3袋持ち帰りました

DSC_4049


万願寺唐辛子とさつまあげ・しめじ・切りいかの甘辛炒め

DSC_4051

万願寺唐辛子は唐辛子という名前ですが辛味はなく肉厚で炒め物など油とよく合う京野菜です


丹波篠山の黒大豆枝豆

DSC_4052

新潟で夏に毎日のようにザルやボウルに入れて食べる枝豆はコリコリしていますが

黒大豆の枝豆は粒が大きくふっくらホクホクして甘みがあります

食感が全然違うので、イノシシさんには最初違和感があったようです

まだ実の入り方がイマイチなので一番美味しそうな時期に送ってもらうように注文して来ました


いただきものの月桂冠

DSC_4053


深いお鍋で大量におでんを作って、義父宅に届けに行った残りですが

深鍋を使ったのは失敗で下の方のものを取り出す際に上の柔らかいものが崩壊しました

今度は浅くて大きなお鍋で作ります

牛すじがお高かったので、鶏の手羽元を入れたら出汁は出るしふんわり炊けてGoodでした

DSC_4054

やっと煮物が苦にならない季節になりました

2023年10月17日00:00レンタルWi-fiを借りてみました
しばらく帰省をしていましたが、その話はおいおいということで、今日は旅行中の

インターネットについてです



月々の出費の中の固定費を抑えるべく、何年も前から格安スマホを利用しているのですが

実家に帰るとWi-fiが使えないので、ネットを使いすぎるとびっくりするような請求がくるときがあり

今回の帰省は長期だったこともあり、初めてレンタルWi-fiを借りてみました

100GB 1ヶ月の利用で3,500円ぐらいとかなりお得です

大きさはスマホより一回り小さめです

DSC_3628


DSC_3629-1

宅急便コンパクトで届き、返却は同梱されているレターパックライトで実に簡単でした

2023年10月16日00:00城下町村上 町屋の屏風まつり
村上で開催されていた屏風まつりに行って来ました

鮭が遡上する三面川

DSC_3601



朝は雨模様だったからか、まちは静かでした

DSC_3602

今回は、行ってみたかった「〆張鶴」の酒蔵、「早撰堂(そうせんどう)」の屏風は

共に定休日で残念でした


お決まりのコース、きっかわに入ります

DSC_3604


DSC_3605


DSC_3607


沖にいる鮭と遡上してきた鮭では鼻の形が違っていて、こちらは遡上した鮭で鼻が曲がり

少し怖いお顔になっています

酒びたし用の鮭だったと思います

DSC_3608


また歩いて行きます

DSC_3612


「益田甚兵衛酒店」

DSC_3616


大きな文字が圧巻、黒い堆朱(堆黒と呼ぶそうです)も20枚セットで飾られていました

DSC_3617


DSC_3618


松浦家でランチをしました

キングサーモンの煮つけ、鮭の白子の煮物、鮭と玉ねぎの炒め物は隠し味に味噌が

入っていて、フワフワの食感で、どれも美味しかったです

私だけ〆張鶴をいただきました

DSC_3620


DSC_3621

他に果物も付いていました

お店の屏風も拝見しました

DSC_3623


帰りに〆張鶴の村上だけでしか買えないお酒を買いました

DSC_3625



2023年10月15日00:00誕生祝
以前、古町散歩をしたときに見つけた印章店に行ってみました

目的は、初孫の誕生祝の印鑑を作るためです

DSC_3552


DSC_3553

ご主人と相談の結果、黒水牛で篆書体という読みづらい書体でお願いしました


実は、私の母方には生まれた子どもに印鑑を贈る習慣があり

(今は亡き)母はもちろん、私も、私の子どもたちも持っています

私と私の子どもたちの印鑑は母が作ってくれました

苗字が変わっても使えるように名前だけで作られていて

「この印鑑で子ども専用の通帳を作って将来のために貯めてあげてね」という

想いが詰まっています

私も、子どもたちが生まれてすぐに、母から贈られた印鑑を持って通帳を作りに行き

出産祝・誕生日祝・お年玉・入学祝は全て手を付けずにその通帳に入金し

それらに加え、毎月貯金をしてあげていました

さすがに中学生ぐらいになるとお年玉やお祝いの一部は本人に渡していましたが

コツコツ貯めておくとやがて役に立つときが来ますね


大昔に叔母が

「子どもに大きなお金が必要になったとき、親の貯金から出そうとすると『惜しい』とか

 『もったいないから少な目にしておこう』という気持ちが生まれるけれど

 子ども専用の通帳を作っていたら惜しげもなく出してあげられるし

 足りなければそこは親のお金を足せばいい」と言った言葉がとても印象的で

のちに私も叔母の言葉に従うことにしました


そんなこんなの印鑑と出産祝が喜んでもらえて

次の世代に少しでも役立つ日が来ますように

2023年10月14日00:0030分の奇跡
昔、アメリカ人留学生を半年ぐらい受け入れていたことがあります

息子が留学中で部屋が空いていて、英語を話せない娘が何を思ったのか

「留学生を預かりたい」と言い出したからでした(笑)


当時、彼は高校1年生で、ファミリータイプの3LDKに住んでいた我が家は

日本では標準的な広さだったのかもしれませんが、アメリカ人にしたら驚異の狭さだと思い

最初に「着く前に言っておくけれど、びっくりするぐらい狭いから」と伝えると

「先生から聞いて、知っているからOK」と言われました(笑)

日本文化に初めて触れる彼にとっては見るもの食べるもの全てが新鮮だったことでしょう

お風呂の入り方、布団の敷き方、行き帰りの挨拶の仕方などから始まり

電車の乗り方を教えて何度か一緒に学校へ往復し、ようやく学校生活が始まりました

初日に教えた布団の敷き方ですが、2日目に見てみたら敷布団を掛けて寝ていて大笑い

したり、「ただいま~」と言って出かけて行ったり面白いことが日々ありました


そして、びっくりしたのは日本語を覚えるスピードがとても速かったことです

3ヶ月後には大阪弁でツッコんでいました

言語の中でも難しいと言われる日本語を若い人はあっという間に覚えるのだと驚きました

(漢字や同音異義語には苦労していたみたいです)

半年経つ頃には私に反抗もしてきて面白かったです

彼を見ていて思ったのは、本当に優しい子でした

一緒に出掛けると、すぐに(買った荷物はもちろん)カバンまで持ってくれたり

車に乗るときは「どうぞ」とドアを開け閉めしてくれるような子で

アメリカはレディーファーストが小さい頃から教えられているのだと感心したものでした


一緒に留学していた男の子も時々我が家に来ましたが、それはそれはびっくりするぐらい

私の料理をほめちぎってくれる(笑)子で、誰からもそんなに褒められたことのない私は

文化の違いを身をもって体験しました


そんな楽しい想い出も遠い過去の話になっていたのですが、先月イノシシさんと

関西に行く前に「日本に行くけど会える?」とメッセージが来ました

私たちが大阪を通過する瞬間と彼が大阪に着く時間が少しだけかぶっていました

イノシシさんにはスーツケースを持ってカフェで待機してもらい

私は滞在先のホテルに迎えに行きました

思いっきりハグをした次の瞬間に、彼は「荷物を持ちましょう」と言ってくれて

遠い過去の記憶が蘇りました

カフェに向かって、イノシシさんとも挨拶を交わしました

大学を卒業して仕事も順調にいき、ますます好青年になっていました

そして、日本の一般サラリーマンでは持てないような車の写真を見せてくれました

日本とアメリカでは根本的に給料のシステムが違うようで、頑張れば頑張るだけ

(それはもちろん大変なことなのでしょうけれど)個人が評価されたり

キャリアを積んで転職すると年収が何倍とかに上がったりと、アメリカンドリームを

見せていただきました


わずか30分でしたが、奇跡的に会えて本当に良かったです

「英語が話せない」と心配していたイノシシさんは出てくる大阪弁に大笑いしながら

一緒に楽しんでくれました

わざわざ私のために時間を割いて再会してくれて幸せなひとときでした


2023年10月13日00:00子育て回顧②
「彼女がおかんの料理を食べてみたいと言ってる」と息子は彼女を連れてきました

いつかはそういう日が来るのだろうとは思っていました

お会いしてみると実に明るく朗らかでかわいい女性でした

2人を見ていると、何故だかずっと昔から一緒にいるような安定・安心のカップルに

思えました

何回かお会いしたときに、彼女は「私も海外で一緒に働きたいと思っています」と

言いました

「ご両親はどうおっしゃっているの?」と聞くと「賛成してくれています」と言いました

私も反対する理由は何もないので2人は渡航手続きを始め、息子が先に旅立ちました


・・・が、そこでまさかのコロナが発生、鎖国状態に陥り、二人は遠距離恋愛となり

1年数か月が過ぎ、息子は帰国して日本で働くことになりました


そんなこんなで、挙式もだいぶ先送りしました

息子に「〇ちゃんのご両親はどんな方?」と聞くと

「めちゃくちゃ仲のいいファミリーよ」との答えでした

実際初めてお会いしたとき、ご両親の仲の良さ、おじいちゃまおばあちゃまの優しい眼差しが

とても印象的でした

そして、結婚式で(叔母も私も)ビックリしたのが、親族の皆さんが同じ優しい目を

していて愛情にあふれているのが見ているだけで伝わってきたことでした

新婦からの挨拶で「母はいつも笑顔で育ててくれました」という言葉を聞いて

私は納得したのですが、叔母は「うちの子は両親はいつも怒っていた」としか

言ってくれないと反省していました(笑)

私は、愛情を受けて育った人は自己肯定感が高い、心が安定している

他の人の幸せを(ねたまず)一緒に素直に喜ぶ気持ちを持っているとか

「愛情」が与える心の成長や(良い)影響がとても大事だと最近気づき

愛情あふれるファミリー・親族の皆さんに囲まれて育った女性で良かったと

心から嬉しく思いました


そして、最近二人の間に元気な男の子が生まれ、私もついにばぁばとなりました

ババアと言われないように気をつけよう(笑)

時々届く写真に「誰に似ているんだろう?」「どちらさま?」と不思議な気持ちになり

まだまだ「孫ができた」とか「おばあちゃんになった」という実感はありません

「近ければBa-ba-Eatsをお届けするのに」と日々のお料理を作りながらつぶやくブタでした


2023年10月12日00:00子育て回顧①
ネタが尽きてしまったので新しいカテゴリーを作ってみました(笑)

ごくごく個人的な回顧録なので興味のない方は是非スルーして下さい


私には元夫との間に娘と年子の息子がいます

私自身は両親が晩婚だったため子どもの頃には「親との別れは友達より早くやってくる」

とか「反抗したら親が身体を壊すかもしれない」という漠然とした不安があり

心の中でしか反抗はできずにいました

結局両親は人並みに長生きしましたが、子どもの頃の不安が根底にあるので

子育ての最終目標は「自立させる」の一択でした

そして、お金やモノを残すのではなく(っていうか元からないけど~(笑))

「体験」「経験」を残してあげたいと思っていました


今回は息子の話ですが、娘とは1歳ちょっとしか離れていなかったので姉という認識はなく

何事も負けたくないという性格が作り上げられた気がします

娘のために買った「あいうえお」や時計を覚える玩具も娘が幼稚園に行っている間に

こっそり使って先に覚えてしまいました

とにかく好奇心旺盛、怖いもの知らずなので小学校に入学した頃には東京まで

ANAのジュニアパイロットでひとり旅をさせてみたり

娘とふたりで新大阪から横浜まで新幹線に乗せてみたり(今考えたらちょっと危険)

「体験」の機会は多かったと思います

「勉強をしなさい」ではなく

「勉強ができたらしたいことや仕事を選ぶときに選択肢が広がる」という言い方をしたり

私の学生時代の友人で当時としては珍しく留学をした人がいるので彼女の話をして

「外国語ができたら世界が広がるよ~プーさん(息子)の知らない世界を見られるよ~」と

小学生時代から話していました

すると本当に留学したいと言い出しました(笑)

「そんなお金どこにあるねん!」と猛反対する元夫でしたが

私が工面すると言ったとたんに「ならいいよ」(・・・ってどないやねん!)

まるで会食の場で一番安い定食を注文していたのに誰かが「今日は俺がおごるよ」と言ったとたん

一番高い定食に変える人みたい・・・と思った


1年の留学・ホームステイで得たものは

 ①レディーファースト

 ②家での役割分担

 ③自分の意見や気持ち、特に感謝の気持ちを言葉で表す

 ④言葉の通じないところで1から頑張る力

 ⑤誰とでも物おじせずに話せるコミュニケーション能力

 ⑥異文化、多様性を受け入れる

などでしょうか、ずいぶん大人になって帰ってきました

「あなたの貯金は使い果たしたからその後の援助は一切できない」と宣言してあったので

その後大学でも休学をしてワーキングホリデーで海外に行くと言ったときもノータッチで

「とりあえず数日のホテルだけ予約したから現地に行ってから仕事を探すわ」と出発し

数日後には「仕事が見つかったから今から数百キロ先のところに飛びます」と

連絡が来たときには「この子はどこででも生きていけそうだから子育て終了」と思いました

その後、安定企業?に就職し親として一安心をしていたら・・・

翌年「もう辞めたから」と事後報告(マジで~~??もったいない~!何考えてる??

大卒の3割は3年以内に辞めると聞いたけど3割の方かーーーい!と

終身雇用世代の私は若者の衝撃発言に本当に目まいがしました)

退職後は派遣生活で「それでいいのか?」と思いましたが、本人的には目的があったようで

「断られても断られてもめげない力を飛び込みのセールスで養っています」と

そしてまた「ご報告があります 海外で働いてきます 住民票も抜きました」と報告に来て

去って行きました

そのとき私が言った言葉は「あなたの人生 楽しそう!」でした(笑)

「せやろ?楽しいで」と満面の笑みの息子でした

「でもね、、、家庭を持ったら落ち着かないといけないよ」と釘を刺しておきました

ところが、そんな心配をよそに私の前に現れたのは「私も海外で働きたい」という

息子と同じような考えを持つ彼女でした(笑)

To be continued・・・