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イノブタ

飲むこと、食べること、旅行が大好きです。
お店で食べたお料理を真似したりアレンジをするのも楽しみのひとつです。

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2022年09月30日00:00孫惣刃物鍛冶
町屋の屏風まつりを見て歩いていると鍛冶屋さんがありました

見学できますと書かれていたのでお邪魔してみました


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現在は鍛冶屋さんの仕事はされていませんが

営業されていた当時のままに道具が保存・展示されています


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炭や火を使っていたために、壁や天井はすすけて黒くなっています

奥のお部屋は休憩をするためのもので囲炉裏も小さいそうです

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鍛冶屋さんをされていた息子さんが説明をして下さいましたが

村上の家は隣と壁一枚で接していて屋根はつながっていると

教えていただきました

その後、周りを見渡すと・・・


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本当です!

大阪には三軒長屋が多くあり三軒がひとかたまりになっていて

屋根もひとつのもので壁一枚を隔ててお隣さんでした

一軒を取り壊すと隣との壁がむき出しになります

そして一軒一軒が狭いので再建築するとなるとますます小さい家に

なるので隣の家が空き家になると購入して自分の家の面積を

二倍にする人もいました

また、三軒揃って傾いてくる(こわ〜)という事例もあったようです

そんなことを思い出しながら村上の家々を見ていると

それぞれは独立した別の造りのお宅になっています

家の改修や建て替えのときに気を遣うかもね~と

余計なお世話なことを考える自分がいました


3回に渡って綴ってきました村上の町ですが

町名も昔の職業にちなんだ「鍛冶屋町」「大工町」「肴町」などが

ありますが、現在はその職業に就いているお宅もない(少ない?)です

お店の方々からお話を伺いながら巡った今回のお散歩は

これまで知らなかった村上の一面を見ることができました


この記事へのコメント

1. Posted by たぁ君ママ   2022年09月30日 08:30
5 昭和30年代、私の幼い頃は鍛冶屋を生業にされているお宅がありました。あの頃は高度成長期以前でしたが、町内には魚やさん、八百屋さん、呉服屋さん、靴やさん、畳やさん、時計やさんと小さな町でも商店街があり、それなりに賑わい買い物を楽しんでいました。お店とお客様の距離がとても近く、それなりに良い時代でした。鍛冶屋さんを拝見しながら、数年前に見送った両親の元気な頃を思い出し、懐かしさと恋しさに浸らせて頂きました。いつも素敵なブログを有難うございます。
2. Posted by イノブタ   2022年09月30日 12:50
たぁ君ママさん

いつも見ていただいてありがとうございます。
そうですよね、昔は商店街があり、たぁ君ママさんが仰るようなお店には
商品に詳しいお店の人や職人さんがいましたね。
私も子供のころ畳屋さんの前で太い針で畳を縫う職人さんをお店の前で見ていました。
田舎では「せいもん払い」(今でいう年末セール)があり、大阪の心斎橋
のように大勢で賑わっていたという話を聞いて信じられなかったです。
今はどの地域も商店街がシャッター街になり寂しいですね。

村上の鍛冶屋さんは昔はたくさんあったようです。生の工場は初めて見ました。
和釘も作られていたそうですが、たしか新潟は燕の方も田畑で水害が多く
副業として和釘を作るようになり現在の金属や刃物などの産業に発展して
いったと映像で見ました。
今回はご両親のことを思い出していただくきっかけになって良かったです。
また、新潟の新たな魅力を見つけたらご紹介させていただきますね。

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